ダンマク物語
先日の記事で少し触れた、とあるダンマクを巡るストーリー。
vinkoさんとこが
記事を更新してくださったので、俺が改めて書く必要もなくなった。
ありがとうvinkoさん(笑)
※注:前回3/20に記事書いた時点では、vinkoさんのレポは「ダンマクが交換で渡されることになっています」で終わっていたんですね。
このように、大分ヒートデビルズと東京アパッチ間で選手のトレードが発生し、それがダンマクの交換という行動を起こさせました。
数人の、ほんの一握りのブースター同士の行動ではありますが(濃いけどなー笑)、とても大きな意味合いのある"儀式"だったと思います。
儀式なんて言っちゃうと大仰で神聖な感じに聞こえますが、気楽に読んでね(笑)
みなさん、色んなきっかけでバスケ観戦を始めだしたことだと思います。
きっかけはそれぞれでも、お気に入りの選手は必ず出てくるんじゃないかな。
ちなみに俺は君塚くんかな。同じオオカミだし(笑)
そして素晴らしい感動を与えてくれる選手を応援する気持ちを形にしたのがダンマクだよね。
ダンマク一枚一枚にはそれぞれに想いが詰まっていて、それぞれの会場で多くの試合を盛り上げ彩ってきたものです。
いい試合をありがとう
がんばれ
なにやってんだ
いけるぞ
根性みせろ
ナイスプレー
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色んなメッセージを乗せて選手に届け続けてきたそのダンマク。
bj初の本格トレードは、ブースターのエール交換に繋がりました。
声だけのエール交換ではない、ダンマクという形になって。
実際に作り、交換を行ったのは一握りのブースターさんたちですが、それには多くのブースターの想いが一緒に乗ってるんですよね。
このダンマク交換の意義はでかい。
とてつもなくでかいと思います。
今回は大分と東京間の話ですが、これがケースモデルになるとすれば、とってもステキなことなんじゃないですか?
ブースターレベルで、bj全体の結束に繋がる、大きな大きな一歩だったと思いますよ。
日本バスケは何かと暗くなる話題に事欠かない現状なのですが、bjから日本バスケが変わっていったらと願います。
ブースターという今までの日本バスケにはなかった存在がポイントなんだよね。
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